捻くれ肴

2001年8月12日生まれ 女性

ダイエットにおける罪悪感

 「罪悪感」という言葉が、自分を太らせてしまうことに対して使われることがある。この「罪悪感」がいまいち理解できない。

 

 動物を食することに対して感じる罪悪感は、少なくともその行為の結果として、命を奪うことに対する倫理的な問題があるため、理解できる部分がある。しかし、ダイエットなどの文脈で用いられている、自分を太らせてしまうことに対する罪悪感とは一体どういうものなのだろうか。

 

 そもそも、罪悪感というのは、他者に対する影響や社会的な規範に反する行為に対して感じるものだと思っている。それに対して、食事の量や内容が自分の体重に影響を与えるというのは、あくまで自己管理の問題であり、倫理的な問題とは言えないのではないか。

 

 こうした自分を太らせてしまうことに対する「罪悪感」というのは、実際には「背徳感」に過ぎないのではないかと思う。

 

 背徳感というのは、自分の内なる規範に背くことに対して感じる感情であり、これは自分自身に対するものである。例えば、ダイエット中に甘いものを食べてしまうと、自分の決めたルールを破ってしまったという背徳感を感じることがあるだろう。

 

 だから、それを罪悪感と呼ぶのは違和感がある。自己管理の失敗に対する感情とは異なるはずだ。

 

 社会全体が「痩せていること」を美徳とする価値観を持っていることが、この「罪悪感」の背景にあるのかもしれない。自分の体重管理がうまくいかないことに対して、必要以上の罪悪感を感じる人がいるのかもしれない。

 

 さらに、自分自身に対する期待が高すぎることも一因となる。完璧主義的な思考は、少しでも自分の目標や基準に達しないと、自分を責めることになる。

 

 この結果として、「罪悪感」が生じることがある。しかし、この感情も、自己の内なる規範に対する反応であり、他者に対する倫理的な責任とは異なる。

 

 結局、食事における「罪悪感」が自分を太らせてしまうことから来るという考え方は、本来の罪悪感の定義から外れているように思える。それはただの「背徳感」であり、自己管理や社会的な圧力によるもの。食事における感情は、もう少し慎重に考えるべきだと思う。