捻くれ肴

2001年8月12日生まれ 女性

 理科ができない、と言いつつも、その疑問の根源には理科が教えてくれる以上のものが潜んでいるように思える。科学が提供するのは、事実や法則の説明にすぎない。しかし、そこにあるのは冷たいデータや数値だけではない。その背後に広がるのは、人類がまだ完全に理解していない、謎めいた世界の姿だ。

 

 地球に最初に発生した水の温度を考えるとき、私たちは単なる物理現象以上の何かに触れているのだろうか。最初の一滴が地表に降り注いだ瞬間、その水がどれほどの温度を持っていたのか。それが冷たかったのか、それとも熱を帯びていたのかは、私たちにはもう知る由もない。だけど、その一滴がもたらした影響は、今でも私たちの中に息づいている。

 

 科学の知識を持つ者は、この疑問に対して明確な答えを導き出せるかもしれない。しかし、その答えが私に何をもたらすのかは別の問題だ。初期の地球の過酷な環境の中で生まれた水は、単なるH2Oという化学式以上の意味を持つ。火山の爆発、隕石の衝突、これらが作り出した高温の水は、生命の誕生を促すための重要な役割を果たしたのかもしれない。

 

 もし、最初の水が冷たかったとしたら、私たちは冷ややかな環境から生まれたのだろうか。それとも、もしそれが熱湯だったとしたら、私たちの存在は熱と混沌から生まれたものなのか。どちらであれ、水の温度が私たちの存在の始まりにどう影響したかを考えると、そこに込められた深い意味が感じられる。

 

 そして、万物の根源が「ぬるま湯」であったなら、それはどうだろう。ぬるま湯のような曖昧さが、生命の誕生にどのような影響を与えたのかを考えると、なんとなくキモい。温度が低すぎても高すぎても、生命は生まれなかったかもしれない。その絶妙なバランスの中で、生命が誕生したのだとしたら、そこにこそ奇跡があるのかもしれない。

 

 私たちは日常的に、温度に対して敏感である。冷たい水、熱いお風呂、どちらも私たちに異なる感覚を与える。そしてその感覚は、私たちの記憶や感情と密接に結びついている。それゆえに、地球上に最初に発生した水の温度を想像することは、私たちがどこから来て、どのようにしてここに至ったのかを考える一助となるだろう。

 

 私たちは、水の温度のように絶妙なバランスの上に成り立っている。そして、そのバランスが崩れたとき、私たちはどこに向かうのだろうか。