捻くれ肴

2001年8月12日生まれ 女性

食事

 食事という行為に対して違和感がある。食事は生命維持のために不可欠であり、誰もが日常的に行っていることであるが、その本質を考えると不快感を覚えざるを得ない。

 

 食事とは他の命を咀嚼し、自らの体内に取り込む行為であり、それによって初めて生命を維持することができる。この現実は、冷静に考えれば非常に異常であり、私にはその行為がキモすぎると感じられるのである。

 

 私たちは日々、命を咀嚼している。他の生命を摂取し、そのエネルギーを借り受けることで自らの生命を繋ぎ止めている。これは自然の摂理であり、進化の過程で形成された食物連鎖の一部であることは理解している。しかし、それでもなお、この行為の根底にある残酷さや異常性に目を向けざるを得ない。

 

 他の生命を取り込むことでしか自らの生命を維持できないという事実は、極めて本質的なレベルで人間の存在を揺るがす。私たちは、日々何気なく行っている食事という行為を通じて、他の命を犠牲にしている。この現実に直面するたびに、私は自分の存在の脆さと矛盾に打ちひしがれる。

 

 さらに、食事という行為が社会的・文化的に美化され、時には娯楽として消費されることにも違和感を覚える。食事は単なる栄養摂取の手段ではなく、文化や社会の一部として多くの意味を持っている。しかし、その背後には常に命の咀嚼という残酷な現実が存在している。この矛盾を抱えながらも、私たちは食事を楽しみ、感謝し、そして次の一口を口に運ぶ。

 

 食事は生きるために必要不可欠な行為であり、その重要性を否定するつもりはない。しかし、私はこの行為の背後にあるものから目を背けることはできない。生きている限り、命の咀嚼という行為に対する違和感と向き合わなければいけない。

 

 今日も私は、食事に集中しないために、スマホ片手に咀嚼をしている。