捻くれ肴

2001年8月12日生まれ 女性

体力

 疲れとは、何かに追い詰められるような感覚であり、その理由すらわからぬままに体が悲鳴を上げている。体力の乏しさが私を無意味に動かせ、そのたびに余計な疲労が積み重なる。大人になればこの無駄な疲弊も変わるだろうと期待していたが、結局、今でも限界を感じずにはいられない。

 

 自分の可能性の低さを痛感し、ただの怠け者だと言い聞かせるが、そもそも小学生の頃から月に一日も休まず過ごすことはなかった。幼稚園児の頃もそうだった記憶はあるが、認めることがなんとなく悔しいため、不確かなことは言わないでおく。

 

 目が覚めても身体が動かず、無断欠席をしたことは幾度となくあった。今では、以前よりも努力しているつもりだが、元が酷すぎて説得力など欠片もない。だからこそ、自分をダメだと追い詰め、自らを迫害するという無限のサイクルに囚われてしまう。

 

 休んだ日の放課後、同じ学校の子たちがマンションのエントランスに吸い込まれていくのを、赤ん坊の頃に乗っていたベビーカーに身を預けながら、四階の窓から眺めていた。休んでいる間も他者の日常は続いており、自分だけが停滞しているような感覚に陥る。それは、ますます私を情けなくさせる。

 

 その光景は、ただ見ているだけで孤独感と劣等感を増幅させた。自分が動けずにいる間にも、周囲は確実に進んでいく。それが私をさらに追い詰め、努力しても結局は元の酷い自分に戻されるのではないかという恐怖に苛まれた。

 

 この自己責めのサイクルから抜け出したいと願うが、その方法は見当たらない。自分を追い込むことだけが、前進しようとする手段だと信じ込む。だが、その過程で心も身体も擦り切れていくのが自分でもわかる。日々、自らの無力さを痛感し、そのたびに一歩ずつ後退していく。

 

 今の自分にできることなど何もない、そう思わずにはいられない。過去に囚われず「今できること」に集中せよと言われても、その「今できること」すら見つけられない。

 

 たとえ、それが小さな一歩でも、それが積み重ねによって大きな変化を生むとは信じ難い。今日もまた、どうやって一日を過ごせばいいのか、その答えは見つからないままだ。