捻くれ肴

2001年8月12日生まれ 女性

散歩

 散歩をしながら外の世界を見渡していると、自分の視力が低下していることに気づいた。空や木々の輪郭がぼやけて、だんだん曖昧になっていく。それを見ていると、これからどんどん世界が不鮮明になり、自分がなんなのかもわからなくなっていくのだろうと、ふと思った。

 

 もしそうなるなら、幸せな今のうちに全てを終えてしまいたいという考えが頭をよぎる。「何もわからなくなる方が幸せだ」と言う人もいるかもしれない。しかし、私はたとえそれが地獄であっても、記憶を持ち続けていたいと思う。

 

 記憶があることで、過去の感情が鮮明に蘇る。それが苦しくても、自分の存在を確認する手段となる。何もわからなくなることは、存在自体が失われるようで恐ろしい。

 

 その日、風が強く吹いていた。なんだかその風は頭の中にまで入り込んでいるかのように思えた。頭蓋骨を貫通し、脳が乾いたような感覚があった。風の冷たさが、五感を一層鋭くし、自分の内面に深く潜り込むような気がした。

 

 誰かが手向けた花束も、アリが這うお供え物も、全部全部死んでいる。生きることと死ぬこと、生きているうちに失われていく記憶、それらに伴う侘しさ。重なり合った全てが、コンクリートに影を落としていた。

 

 自分がこの世界の一部であることが、急に現実味を帯びてきた。早いのか遅いのかもわからない時間の流れと一緒に続く日常で、自分が世界の構成員の1人であることを思い知らされた。社会の中でどんな役割を果たしているのか、どんな意味を持っているのか、そのすべてが曖昧だった。

 

 どれだけ考えても、この空虚感から逃れる術は見つからない。目の前に広がる景色が、どんどんぼやけていく。視力以外にも原因がありそうだ。

 

 歩みを止めて、しばらく立ち尽くしていた。自分だけがこの場所に取り残されているような感覚に襲われ、世界の隙間に入り込んでしまったかのように思えた。

 

 なにごとも、辛かったとしても、無に帰すことは恐ろしい。記憶を失わないように、手首をパチンと叩いてみる。痛くもなんともなかったことが、余計に寂しかった。