捻くれ肴

2001年8月12日生まれ 女性

信念曲げましておめでとうございます

 なんとなく喫茶店で食べたオムライスに、プラスチック片が2つ入っていた。思わず「これは日頃の行いが悪いから罰としてもたらされたんだ」と、自己納得の奇妙な方向へ舵を切った。

 

 お店の人に注意すべきことだとはわかっているが、それができない自分の情けなさをどうにかして消し去りたかったのだろう。こうして言葉にして呟いている以上、実際は消えていないのだろうが。なぜだろう、あの場でただ「プラスチック片が入ってました」と言うだけで済むはずなのに、どうして自分のせいにしてしまうんだろう。

 

 自分の行いが悪いからこんな不運が降りかかった、そう思うことで、何か救われたような気になっているのかもしれない。それは一種の逃避なのだろうが、根底には他人を咎めたくないという気持ちがある。それでも、自分を犠牲にしてまで目を瞑る必要はなかったんじゃないか。

 

 去年のことを思い返すと、確かに周りの人々からたくさんの時間をもらって生かされてきた。それは毎年のことかもしれないが、特に去年はその思いが強かった。誰かに頼ることで自分が救われる瞬間がいくつもあった。

 

 そして、その時間をもらったという感覚があるからこそ、今回のように他人に指摘することに躊躇してしまうのかもしれない。自分が生かされている以上、周りに対して何も文句を言う権利がないと、無意識に思い込んでいるようだ。

 

 信念曲げましておめでとうございます。信念なんてものは、いつの間にか曲がってしまうものだ。それが良いか悪いかはさておき、毎年何かしらの形で自分の信じていたものが揺らいでしまう。もしかしたら、去年の自分もそうだったのかもしれない。周りに支えられながらも、その過程でどこかで自分の信じていたものを少しずつ手放していったような気がする。

 

 こうしてまた、何かが手の中からこぼれ落ちていく。それが信念なのか、自尊心なのか、はたまた単なる気まぐれなのか。きっとこれからも、その手のひらには新しいものが乗っては消えていくのだろう。信念が曲がる度に、「おめでとう」と自分に言い聞かせながら。